芥川龙之介《杜子春》与唐代传奇《杜子春传》的比较_论文
《杜子春》是一篇历史小说,也是一篇童话。芥川龙之介创作于大正九年七月。它讲述的是主人公杜子春从富裕到贫穷两次大起大落后对世间产生了厌恶之情从而想要成仙,但在修炼的过程中却被他所厌恶的人世间的母子之情感动,自主放弃了成仙的道路回到人间生活的故事。此作品取材于中国古代的神话故事——唐代传奇《杜子春传》。该故事的主人公杜子春也经历了从富裕到贫穷两次大起大落,最后看破物欲,把老人第三次给他的三千万用于布施。之后随老人上山修炼,最后因目睹自己孩子头骨爆裂而死,违背了与老人的约定,于是老人劝杜子春打消学仙的念头,送了他一把锄头,要他好好做个农夫。
本文通过比较芥川龙之介的小说《壮子春》和中国古代传奇《杜于春传》这两部作品,探讨芥川在这部作品中所要表达的思想主题,通过对主人公的描写,提及人对爱心的认识,对自身的认识,表达了人性和爱心的可贵。强调爱是认的根本,从而也进一步分析了芥川龙之介的创作倾向和人生观。 M00080
关键词:芥川龙之介 杜子春 修炼 母爱 人生观
芥川龍之介『杜子春』と唐伝奇『杜子春伝』の比較 查看完整请+Q:351916072获取
要 旨:芥川龍之介は日本大正時代の知性派・技巧派の代表作家で、豊かな歴史知識と深い文学の素養があった。彼の文学作品は広い分野から材料を取り、千変万化である。西洋の
材料にしても東洋の材料にしても、彼は自在にコントロールでき、奇特な思惟方式で表現できた。
『杜子春』は芥川が大正九年七月に作った歴史小説であり、童話作品である。作品は二回に渡り、裕福な生活から貧乏人になった杜子春が人生の激変を経験し、人の世を嫌になり、仙人になりたいと願ったが、修行の過程で世間で最も偉大な親子の情に感動され、自ら仙人になるのをあきらめて、人間の生活に戻った物語である。この作品は中国古代の神話物語、唐代の伝奇『杜子春伝』から材料を取っていた。その伝奇の主人公杜子春も二回に渡り、金持ちから貧乏人になり、人生の激変を経験し、最後に彼は物欲を見破り、老人が三回目に渡した三千万を布施に使い、自分は老人と一緒に山で修行することにした。最後に自分の子供の頭骨が爆発して死んだのを目にして、老人と交わした
約束をすっかり忘れてしまう。老人は杜子春に仙人になるのを諦めようにアドバイスした。そして彼に鋤を渡して、いい農夫になるように助言した。
本論文では、芥川龍之介の小説『杜子春』と中国の古代の伝奇『杜子春伝』の二つの作品を比較検討し、芥川龍之介がこの作品の中で表現しようとしている思想のテーマについて探求し、主人公を描写した、その過程で彼自身に対する認識、愛に対する認識、
人性の有り難さ、人の愛の有り難さに言及し表現していり、愛は人の根である。さらに芥川龍之介の創作傾向や人生観について分析していく。
キーワードー:芥川龍之介 杜子春 修練 母性愛 人生観
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はじめに 1
1 主人公杜子春の比較 1
1.1 芥川龍之介『杜子春』の杜子春 1
1.2 唐伝奇『杜子春伝』の杜子春 2
2 修行の比較 2
2.1 試練の起因の比較 2
2.2 試練の過程の比較 3
2.3 試練の結果の比較 4
3 作品主旨の比較 4
3.1 芥川龍之介『杜子春』の主旨 4
3.2 唐伝奇『杜子春伝』の主旨 4
4 杜子春像と芥川龍之介 5
4.1 芥川龍之介 5
4.2 芥川龍之介と杜子春 5
おわりに 6
注 7
参考文献 8
謝辞 9
芥川龍之介『杜子春』と唐伝奇『杜子春伝』の比較
はじめに
芥川龍之介(1892-1927)は日本の新思潮派の代表作家である。彼は夏目漱石、森鴎外と共に日本の近代文学の三大文学巨匠と併称されていた。彼は子供のころから日本文学が好きだけではなく、中国の古典著作をたくさん読んでいて、中国伝統文化の影響を深く受けた。彼が創作した「中国物」の作品群は、中国の歴史伝説と古典を元に改編、翻案し、或いは現代の中国を舞台にしていた。そして本論文で論述しようとしている童話『杜子春』も彼が歴史伝奇から改編した作品である。『杜子春』は、芥川が大正9年(西暦1920年)に創作した童話作品であり、金持ちから貧乏人を経験した杜子春が人の世に嫌気を仙人になろうと、試練を受けている中で人間の母性愛に感動され、自ら自覚して仙人になるのを放棄し、人の世の生活に戻るという物語である。この作品は実は中国唐代の伝奇物語『杜子春伝』を元に編集していて、しかしその内容、テーマ、人物描写に至っても原作と大きく違っている。本論文では二つの作品の比較を通じて、個々の違いについて探求し、分析していく。そして大胆にその違いの背後にある芥川龍之介と彼によって創られた杜子春との間の関連性を発掘していきたいと思っている。
1主人公杜子春の比較
両作品の主人公は同名である。しかし創作者は独自の創意があり、似ているようで、細かく検討するとその相違が明らかになってくる。
1.1芥川龍之介『杜子春』の杜子春
芥川龍之介の『杜子春』の冒頭では直接に主人公の性格について描写しておらず、ストーリの発生時間と背景を語ったのである。物語は唐の都洛陽である。「或る春の日暮です。当時の洛陽はすでに天下に並ぶもののない、繁昌を極めた都ですから、往来にはまだしっきりなく、人や車が通っていました」[1]。このような流動の繁華の中に、「唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」[2]。そこで杜子春が登場する。昔の金持ちの坊ちゃん、今は財産が尽き果て、帰る家もない。孤独と絶望から自殺の念が彼の心を付き纏っている。この時、老人の突然の声かけと心配している様子が彼を驚かせた。思わず、正直に老人の質問に答え、彼の初回目の助けを受けた。この助けによって彼の人生は美しい月光のように、希望に満ちた。
杜子春は二回に渡り、老人から援助を受け、唐の玄宗皇帝にも劣らない贅沢な生活を送った。しかし彼は無制約に贅沢に金銭を浪費して、二度とも冒頭のように、一文なしと成り、西門の下に立って、誰にも声をかけてもらえない。老人が三回目に助けようとした時、彼は満面に不平不満を顕にして、しかも乱暴に拒否したのである。二度の人情に対する失望で彼は「人間は皆薄情です」[3]と深く信じていた。彼が老人に弟子にするように懇願したことからも彼がその後、仙人になる道を求めたのも、早くこの嫌気がさした世間から逃れたいと焦っているのが分かる。
1.2 唐伝奇『杜子春伝』の杜子春
唐伝奇の『杜子春伝』の冒頭で杜子春についての描写はこうである、「財産を大事にする考えがまるでなく、毎日酒におぼれる生活で、仕事もろくにしなかった」[4]。このように貪欲に享楽を求める坊ちゃんであっても、人となりはよく、恩と仇をはっきりと区別している。老人が三回目にお金を与えようとした時、彼は自分の行為を恥じた。「今は一文もない」[5]の原因はすべて己の「自分は放縦に金銭を湯水のように使って」[6]ことにあると悟った。そして老人にもらった三回目の金で、「過去彼に恩をくれた人には恩返しをし、仇敵に対しては報復をも行った」[7]、しかも老人の三回の施財の恩を返すため、彼は老人の命令に従うことを承諾し、それによって仙人になる道を歩むことになった。
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原文链接:http://www.jxszl.com/wgy/riyu/86.html